リレーエッセイ4月

私の名前  冬田千代子

私の名前は「千代子」。
私は昭和56年1月16日生まれ。その日は雪の舞う寒い日だったそう。
幼少期の私は「千代子」の名前は嫌いではないけれど、何だか大正から昭和初期っぽいレトロな名前に、幼心に何となく別の名前が良かったなぁと思いながら、何度も「私の名前は何で千代子?」と両親にたずねていたことを思い出す。
母の回答では「お父さんは、中学校の時好きだった女の子の名前で、千鶴子ちゃんって付けたかったみたいよ。だけど、鶴という字は難しいから、書けないかもしれないからって千鶴子はやめたの。」との話。
そもそも、中学時代に好きな女の子の名前を自分の娘の名前の候補にあげる父も父だが、自分大好き自己中で陽気な父から想像できる。父の好きだった子の名前を一度は受入れ、鶴という漢字が難しいと言っている、いつも寛大で天然な母と父との会話も想像できる(笑)
父の回答では「仕事中にラジオを聴いていたら、千代の富士が初優勝をした。千代の富士にあやかり、元気に逞しく育って欲しいとの思いを込めて千代子に決めた。」とのこと。
昭和56年、当時相撲は人気絶頂期。テレビでの千代の富士の初優勝瞬間視聴率65.3%!!千代の富士は小柄でありながらも筋肉質な体型、豪快でスピーディな取り口で力強く、ウルフフィーバーを巻き起こしていた。結果、昭和56年初場所真最中に生まれた私は、当時大活躍していた千代の富士から名前をあやかった。
おかげさまで、名前の通り元気に逞しく(私らしく)今を過ごすことができていることには、両親にも名前にも感謝。
親戚間で私は「ちょこちゃん」と呼ばれている。一番親しい従姉の名前は「恭子」。少し前の話になるが、従姉の子供たちが「ママは、チョコレートが大好きだから、ママの名前も【ちょこちゃん】だったらよかったのにね!」と従姉に対して話していた。大人になってから、特に自分の名前に対する特別な思いはなかったものの、なんだか、自分の名前を肯定されたような気がして凄く嬉しくHappyな気持ちになり、自分の名前にとっても愛着を感じた。従姉の子供たちの中で「千代子」=「チョコレート」になっているところはご愛嬌(笑)
更に、自分の娘の名前を考える時に開いた命名辞典に【千代】は、とわの栄を祈る言葉と書かれていてますます自分の名前が好きになった。
名前は親がくれた世界一短いラブレター
これからも、大好きな両親につけてもらった名前を大切に、ますます元気に逞しく(私らしく)過ごしていきたい。