リレーエッセイ3月

7回目の辰年に  杉田 成

昨年の元旦の「初日の出」彩雲と真っ赤な太陽、光の中で私の7回目の辰年の幕開けでした。娘、孫、曾孫達と楽しい新年会を済ませ帰宅したのは午後5時過ぎ、TVのスイッチを入れてその画面に釘づけになりました。石川県を襲った大地震のニュース、2日には航空機の事故、ふと3度目はと不安に襲われたのを覚えています。

3月下旬、猫の泣き声がニャーニャーとうるさく、そして寒い、目を開けて、何!私はうつぶせに倒れていました。目の前の時計は午前4時10分、少しずつ手・足を動かしてみました。大丈夫、ゆっくり立ち上がってもOK,そう、私は午前3時40分頃トイレに起きたはずでした。約30分ちかく気を失っていて愛猫「ハナ」が心配して鳴いてくれたようです。
2,3日は背中が重くシップで我慢しましたが何かおかしい、整形外科を受診、
MRIの結果待ち「大丈夫!」の答が返ってくると思った時「そく入院してください、頸椎と胸椎の2箇所圧迫骨折しています」エッ!そのまま4・5月の入院になってしまいました。

治療といえば武士の鎧のようなコルセットを付けて頭を固定、上向くこと、下向くこと厳禁、リハビリは歩くこと。元来ポジティブな私も少々落ち込みました。「ハナ」を閉じこめたままの入院、娘家族は旅行中・・・・
 すぐに沢山の手が延びてきました。妹・お茶のお弟子さん・ねこ大好きの友人、
2ケ月近く毎日交代で様子を見てくれました。(退院した日、ただいまハナと呼んでも傍に来てくれません。2時間ぐらい後にそっと膝に乗ってきました。何か抗議したかったようです。)

また、入院中には沢山の方々から沢山の大丈夫を頂き、2度3度のレントゲン結果、先生の「まだちょっと!」となかなかコルセットが取れませんがあせっても、今は我慢の時と頑張ることが出来ました。4月下旬うれしい電話がありました。「分隊長、横須賀からです。今みんなで11月に分隊長に会いに行く計画を立てています」50年前の教え子からでした。
海上自衛隊で教官として最初に出会った16人、彼女達と一緒に以後の海上女性自衛官を育ててきました。古希を過ぎ元気な内に会いにいこうとなったようです。

当時、35歳の私、歳の差10歳前後、50年の歳月が過ぎたとはいえ元気な姿で再会したい。退院後武士のコルセットを外し首まわりのコルセット、次にこれを取る練習、頭の重さを実感しながらのリハビリは暑さの中、目標は11月に元気な姿で会いたい。
横須賀、沖縄から4人が尋ねてくれました。彼女達から聞く16人の現状、それぞれに山あり谷ありの人生だったようで、準備した料理よりはおしゃべりが止まりません。懐かしく楽しい時間をもらいました。
辰年の1年、入院という「まさか!」があったものの沢山の方々に支えていただき励ましの中で生かされたと感謝の1年でもありました。
ソロプチミストもこれで退会かとも考えましたが例会で皆様のパワーを頂き、今この一文を書くことが出来ました。
頂いたお支えに少しでもお役に立てたらと思っています。
   2025年1月

2024年11月2日(土) 50年振りの再会を楽しみました
(R6)