リレーエッセイ5月

愛別離苦 悲喜交々  北野 晶

令和5年4月日本南リジョン大会が9年ぶりに熊本で開催され、我らソロプチミスト熊本すみれがサポーティングクラブとしてコロナ禍以来では初の約900名のゲストをお迎えし、私にとっても千載一遇の経験をさせて頂いた。
9年ぶり…そうそう私はその9年前のリジョン大会後に入会したので来年で丁度10年目の節目を迎えるのだ。当時はリジョンという意味もわからなかった。今なら新会員に「いわゆる地区大会みたいなものですよ」と説明もできる。
このリレーエッセイも入会して間もない頃に順番が回って来て母の事を書いたのを思い出し、久しぶりに読み返してみた。一時は半身不随も覚悟しなくてはならない難病からの復活劇。嘘の様なホントの話しに読んで下さった会員の先輩方から激励のお言葉を沢山頂戴した。
すみれに入会して一番に感じたことは声をかけて頂ける喜びだった。元々自分から話しかける性分でもなく、チームワークとは無縁の世界にいた私は「北野さん、元気?」「今日は来れたのねー、嬉しいわ」と先輩会員の方々に笑顔で気さくに話しかけてもらうのが本当に嬉しかった。
私の母と同世代の方も多く、自分の母親から言われても素直に聞けないはずなのに、母からまた教わっているような感覚で組織の在り方を一から学ばせていただいた。
10年ひと昔とはよく言うが、貸切バスで南リジョン福岡大会に参加した際、ディナーもひと段落し、シーホーク30階のバーで二次会を楽しんでいた。突然、一斉に全員の携帯の緊急アラームが鳴り出した。熊本地震だった。予定を変更して朝一にバスに集合、高速は閉鎖されているので下道での帰路となった。普通なら2時間ほどのドライブなのだが6時間ほどかかり、途中玉名駅でトイレ休憩をした際に見上げた青空に不気味な地震雲とスズメ一羽飛んでいない異様な静けさは今でも忘れられない。動物達は次に来る本震をすでにわかっていたのかもしれない。家路に着き、ぐちゃぐちゃに散らばった家財の片付けをする間もなく、会社に戻り、それからの1、2ヶ月の記憶はあまり覚えていない。
大変だったけれども、すみれ会員の皆さんとはもちろんのこと多くの人に助けられ、支え合い、当たり前のことがどれほど有り難く幸せなことや、忘れかけていた大切なことを絶対に忘れないと心に刻む出来事だった。
あれから7年、熊本は水害、コロナとさらにこれでもかと言うほどの打撃を喰らい、別れもあった。この別れというものが非常に厄介である。突然やってきたり、ジワジワと迫ってきたり、避けたくても逃げたくても逃れられないのだから。
自分にとってその大切な人は世界中どこを探しても他に変わりはいない唯一の存在なのに。生きることの苦しみ、悲しみ、そこにそっと寄り添い続ける優しさと思いやり、ふとした時に気づく大自然の無限の愛情、私たちは生き続ける限り、変幻自在に光と影のようにそれと共生する。
そんなそろそろひと昔の春を迎え、私の母はとある通信制の大学を卒業した。
お気に入りのピンクヘアーに紫の袴をコーディネートし、地震の時はまだお腹の中にいた甥っ子も一緒に久しぶりに家族で東京の卒業式に参加した。
コロナ禍で通信制の大学も完全にオンライン化が進み、ペーパーレスのレポート、論文作成はアナログ世代の母には相当ハンディだったようだがやり遂げた母には尊敬と称賛の拍手を送りたい。
辛い経験をしながら負けずに頑張っている人がいる、踏ん張っている人がいる、支えてくれる人がいる、見守ってくれる人がいる。道端にひっそりと咲いて春の訪れを教えてくれるすみれのように謙虚に、誠実に。
一歩も前に進むことが出来ずに後退りするような時があっても、それでもいいのだ。
凍りついた人の心も南極の氷が溶けるのと同じように必ず溶ける日は訪れる。
私にとってのソロプチミスト熊本すみれに所属できた幸せはそこに気づかせていただいた先輩会員の声かけから始まっている。