リレーエッセイ11月
心の風景 永島静子
高校進学と同時に生まれ育った実家を離れました。10歳の時父が亡くなり 母は現金収入の為 いろんな所に働きに行き、家には時折り帰ってきます。
両親が居ない家でしたが、祖母や兄夫婦、姉妹と 甥っ子姪っ子の大家族で 親のいないさみしさ感じずに過ごしてました。自然が豊かで子供の頃は毎日の遊びに夢中でした。夏は川遊び、秋は野山の栗や柿、山芋掘り、冬は陣取りや道の真ん中でリレー、駅伝競走の真似事。春は潮干狩り、草餅団子 よく祖母に作ってもらいました。
中学時代は、「自立すること」を常に考えた記憶があります。
実家は農家で棚田と山の畑 貧村の自給自足の生活。曾祖父の時代に建てられ150年前の埴生の宿。建て替えを検討していたけど もったいない。
柱に使われている古い材木を残すということで 鉄鋼を建て茅葺き屋根を囲み その上に2階を新築するという、兄の妙案の建築物に建て増しされました。
黒く光った大黒柱。祖母の自慢の板間。は、残ったのはいいけど、拭き掃除を日課にさせられる私達は不満だった事が思いだされます。あれから60年経ち、200年前の古い故郷の家です。
学生時代は休みの都合がつけば手伝い帰ってましたが、祖母が亡くなると「故郷は遠くにありて思うもの」
甥っ子も姪っ子達も家を離れ、ここ10年頃前からは老いた兄夫婦の2人暮らしで先祖の墓を守ってくれてました。
私達姉妹は墓参りと称して実家に集まり、田植え、稲刈りを手伝い 美味しい棚田の米を分けてもらっていました。皆んなで集まり姉妹会。時には家族も引き連れ大宴会をしたりしました。昨年辺りから、農作業が出来なくなって 兄夫婦もそろそろ引退よねと思っていた矢先、今年の1月 兄が心筋梗塞で急死。49日の法要前、2月 納骨もしない内に実家全焼 古い家の配線が原因で火事になったそうです。1人暮らしの義姉は無事で息子家族の元よりディサービスを受けてます。
大きな古い家でしたが、私達姉妹にとっては実家。思い出や祖母、母のもの、写真等など全て灰になってしまいました。兄が一緒に天国に持っていったんよ。今年夏、実家を無くした私達は宿を借りて兄の初盆、墓参りをしました。いつも上の道から観る実家は広い空き地になり裏山の木々の焼け残り後が寂しく立ってます。
こころの風景は瞼の中になりました。

2年前 義弟が干柿を二階から吊してます。

家の裏山の柿
今はもう焼けてありません。

