リレーエッセイ10月

仕事人   中島由乃

母が白血病で亡くなり9ヶ月が経ちました。その2ヶ月後に伯父、またその2ヶ月後に伯母を亡くしました。伯父と伯母は夫婦です。3人の共通点として仕事に命懸けだった「仕事人」のように思います。母は元々看護師でした。しばらく家庭に入ったのですが、父は体が弱く入院を度々するような状態で私が5歳、弟が2歳の時に仕事に復帰。近くに祖父母もいない事から私が小学校へ上がった際には、ランドセルを背負ったまま弟を保育園へ迎えに行くのが日課となり、帰宅後は洗濯物を取り入れお風呂を洗い沸かすという日々。高学年になれば食事の支度までプラスされるようになりました。今で言うヤングケアラーなのだと思います。どんなに熱が高くて具合が悪くても私達が病気でも決して仕事を休む事をしない母でした。そんな中、私も夢を持ちました。家の仕事があり、なかなか遊びに行けないので、毎日絵を描くようになりました。伯父はいわゆるアーティスト。「中嶋興」日本先駆けのビデオアートを手掛け、武蔵野美術大で教壇も取っていました。私の描く絵をとても褒めてくれて、いつの日か私も美大へ行って学びたい…と思うようになりました。伯母は「中森じゅあん」コピーライター、また算命学という占いめいた数法で人生の岐路を読み解く事で著名になり雑誌an-anやFIGAROに掲載されていました。2人とも寝る間を惜しんで働き、伯父は目が殆ど見えなくなって何度も手術。そんな伯父を支えるべく伯母も無休で働いていた事を母の遺品の中から手紙が出てきて知りました。
2人とも私の夢を応援してくれていましたが、そんな矢先に父が事業に失敗し美大への進学を諦める結果になりました。私も無知でいろんな手立てが分からず…奨学金も今の様には降りない時代でした。美大で学び、家の設計や内装デザインをしたい!と思っていましたが、今はお客様の未来のための保険設計を行いながら男子2人の子育てと、このソロプチミストの「女性と女児の夢を応援する」というボランティア活動に取り組んでいます。1人でも多くの夢が叶いますように…私の様な子の助けになれたら!との想いです。そのためには私も「仕事人」でありたいと思います。母や伯父、伯母が教えてくれたたった1つの大事な事のように感じる今日です。