リレーエッセイ8月

同居も悪くない  伊藤道子

 結婚と同時に、主人の実家にて、主人と主人の両親との同居生活がスタート。今年で29年目。途中義父が天国へ行き、昨年2人の娘が社会人となり、主人と義母との3人の生活を過ごしています。
 ここで義父母の話をさせてください。義母は幼い頃、教師の父親から「恭子(義母)は先生、恭子は先生になる」と、温かい家庭で育ちました。素直な性格の義母は小学校教師となり、程なくして義父と巡り会い、家庭を築きました。
 義父は元々中学の教師をしていましたが、私が嫁いだ時、複数の幼稚園の理事長で、義母は幼稚園の園長でした。「昭和31年という誰もが幼稚園に通うことが当たり前といえない時代に、安定の中学教師を辞め、幼稚園経営を始めたのはなぜか?」と常々疑問に思っていました。しばらくして、義父からその答えを聞く機会がありました。「僕が中学校で教えている学生の中に、自分はどうせ出来が悪いから、と勉強や学校生活に自信ない学生が少なからずいたんだ。何故そうなったのだろうと考えた結果、”三つ子の魂百まで”という言葉があるように、幼少期にそういったマイナスの心が育ってしまっている。だからこそ、その時期から教育を充実させていかなければならない。」と。つまり、幼児教育こそ重要視すべきだとの結論に達したそうです。私は、義父のその思考からの行動力は素晴らしく潔いなと感心しました。
 それから、義父と義母は幼稚園設立の計画を立て資金を集め、昭和31年に念願の第一幼稚園を創立されました。建学の精神「一人ひとりを大切に、ただ一人の幼児の心をも悲しませない血の通った教育をする」という子供中心の考えを更に広い地域で広めるべく、第二幼稚園、杉並台幼稚園を設立。社会で活躍する多くの卒業生を世に送り出すべく努力され、熊本県私立幼稚園連合会会長を歴任され、熊本の幼稚園教育に貢献しているという自信に満ち溢れ余裕のある紳士でした。
 そんな素敵な義父を全力で支えてきたのが、今年93歳になった義母です。義父は体が弱かったせいもあり義母の献身的な義父とのやり取りの姿が印象的でしたし、今でも思い出として残っています。93歳の義母は、子供たちが大好きで、自宅隣の幼稚園保育園に毎日通勤しています。「いつも子供たちからパワーを沢山もらっているの」と、毎日楽しそうです。人の元気の源は体力だけでなく、人との会話、心の触れ合い、精神的な部分も大事ですね。
義父母と同居して、2人の娘たちは幼児教育のプロから言葉や所作を知らず知らずのうちに習得し、すくすくと育ってくれたと思います。
 ここで題名に戻りますが、お恥ずかしい話、新婚生活を主人と2人で過ごしたいと思ったことや、仕事と子育てに追われて義母と意見が衝突してしまう時期もありました。想い返すと、義母、主人、私は、お互いに一番の理解者となり応援し続けていました。家族の在り方は様々ですが、私は同居は悪くない、と感じています。