リレーエッセイ12月

~28年前の思い出~   村本聡子 

私たち家族は、1992年から3年余り米国オハイオ州のクリーブランドというところに住んでいました。
当時6才、4才、2才、0才の子どもを引き連れて、まさに珍道中と言わんばかりの大移動でした。
夫の仕事はさて置き、私は子どもの学校や幼稚園のことで必死に毎日を過ごしていた記憶しかありません。

程なくして、子どもたちはすぐ近所の子ども達と仲良くなり道向かいのエリカという小学校4年生の女の子が、我が家へやって来てベビーシッターやるよ!と言ってきたのです。10才位の子が?と私はびっくりしました。
その子曰く、シッターの勉強もして、資格も持ってるよ!市の講座でそういうのがあったようで、シッター代が1時間1ドル(当時100円程)だというのにもまたびっくり!
日本では考えられない、年齢と代金…
自分で対価を得るというハングリー精神は子どもの頃から浸透していると感心したものです。
やがてエリカの人となりが判りシッターを頼むことにしました。ところがある日私に、お尻を叩いたりしてないか?虐待してないかという目付きで言ってきたのです。だってお尻が青くなってるよ!オムツ換えの時見たけど…と言うので、お尻の蒙古斑の事を説明すると、なるほど!とエリカは勉強になったという顔でニコニコしていた思い出があります。
もちろん昼間は学校に行ってるので、夕方など私が忙しいときにシッターをする訳です。
ある日その子が、「おしり、あたま」「おしり、あたま」と叫んでたので、何かと思ったら、私の子どもにこれ日本語で何?と聞いたら、お尻頭!と言ったよ!というので、笑ってしまいました。つまりバッドワードで、これを英語に変えると「クッソー!」みたいなことですね。
子どもはまだ直訳しか分からなかったので、「おしり、あたま」だったのです。
エリカからはいろんなアメリカの日常を教えてもらい、子どもなのに本当にしっかりしていて私の英語の先生でした。
英語は忘れてしまいましたが。残念ながら…

そんなこんなで月日は過ぎ、私たち家族も土日になるとバーベキューをする、いわゆるアメリカンな楽しい日常がありました。
辛いことも勿論ありましたが、楽しかった思い出の方がはるかに多いです。

あれ以来その場所に行くことはなく、いつか行こうと思いながら28年が過ぎてしまいました。私の足腰が丈夫なうちに必ず行きたい場所で、最近ますます、その想いに馳せる毎日です。

米国オハイオ州 クリーブランド