リレーエッセイ7月

グローバル化とコロナ禍   古﨑喜代子 

 令和の御世替わりのお祝いムードに包まれた中、いよいよ東京オリンピック開幕となる新年を迎えた2020年は、武漢で始まった新型コロナウィルスによる病気の流行を向こうの世界の出来事のように考えていたように思います。
 実は孫が中学生になるお祝いに、入学式前の3月に娘と孫を連れてイタリア旅行を計画していました。グローバル化という名のもと、公私ともに利便性を享受していた我々にとっては今回のコロナウイルスの感染の波は怖いもので、2月の初旬まではまさかイタリアには広がらないだろうと思っていたところ、2月中旬にはあっという間に感染が拡大していきました。もちろん3月の旅行は断念したものの、まだコロナの怖さをわかっていなかった私は、孫の夏休みにはいけると思いキャンセルではなく7月に変更してしまいました。私たちはインフラの発達と共にその恩恵に浴し世界中を移動することが出来、グローバル化の利点ばかりに目を奪わるようになりましたが、その反面ウイルスもあっという間に世界中に広がってしまいます。イタリアでなぜここまで急速に広がったか?理由の一つには、経済的にイタリアは中国にかなり依存していて、40万人を超えるといわれる中国人労働者の存在があったことも見逃せません。憧れのブランドバッグの実態はメイドイン・イタリー・バイ・チャイナだったのですね。
 日本も4月7日に緊急事態宣言が全国に発令され、休業・自粛の日々となりましたが、5月25日に全面解除され、6月からはなんとか世の中が動き始めました。しかし経済は大変です。働き方も変えなければなりません。コロナ禍は時代の劇的変化の為に神が与えた必然なのでしょうか。巣篭り生活から抜け出した私たちは、混乱した思考をどのような方向に向ければよいのでしょうか?アフターコロナの時代をいかに生きていけば良いのでしょうか?ニューノーマルへのシフト等、乗り越えていかなければならない課題は山積で、ついつい暗くなりがちですが、乗り越えた先にはきっと素晴らしい時代が来ると信じていきたいです。
 さて、コロナ禍がここまで続くと思っていなかった私は、7月にイタリア旅行を変更していましたが、もちろん7月はキャンセルです。孫たちは夏休みも大幅に減って7月も学校の様です。ゴンドラに乗れる日を夢に見ながら、早く日常に戻り、マスクをしなくて良い日が来ることを祈るばかりです。