リレーエッセイ11月

母と着物   永田奈美

 やっと暑さもおさまり、着物の季節が到来です。わたくしの母は大の着物好き!昨今の感染症の為、出掛ける回数が随分減ってしまい、着る機会も大幅に減少していました。しかし、やっと少しづつ同級会等、母の出掛ける機会も戻りつつあるようです。

 母は、思い返せば、わたくしが小さい頃から、何ケ月か毎に、黒地の着物、留袖を着て父と出掛けていました。そう仲人を仰せつかり、出掛けていたのでした。その時に教えてくれたのは、家紋の話。へえ~とだけしか思わなかった私でした。

 父は、わたくしが生まれる前から、地元議員として奮闘し、その繋がりで、仲人をお受けしていたとのことでした。これまでお引き受けした役目は、50組以上と聞いております。

 そのような大切な役目を果たす当日、朝早くから家の中を小走りに右往左往する母。美容室から帰ってくると、いつもとは全く違う雰囲気を漂わせていました。そうして、いざ出発。わたくしは、祖母とお留守番。帰りに頂いてくる、ケーキを楽しみにしていたのが懐かしいものです。(随分前は、ケーキに折り詰め、引き出物…が当たり前でした。)

 母は、仲人以外にもお祝い事やちょっとしたお出掛けにも着用していました。そのルーツは、やはり、母の実母(私にとって祖母)の影響をもろに受けています。祖母の時代は皆お着物が主流でしたので、よく着用していたそうです。母は、祖母がお嫁入りの時に、髪に付けてきたべっ甲飾りの一式を、幼い時、姉たちと蔵から持ち出し、自分の髪に付けて遊んでいたそうです。今はどこにあるのかな~と行方はわからず…そんな楽しい思い出がルーツの一つにもなっているようです。

 私が社会人になってからは、いつしか、わたくしは、母のおかかえ着付け師になっていました。自宅に着物があったので、着付け教室へ通い、頑張りました!約20年、母の着付けを担当し、先日久々に母へ着付けを致しました。母も75歳を超え、家業の第一線から引退し、庭の手入れに勤しんでいる日々ですが、この日、母がとっても小さくなっていることに気付かされました。大好きな帯も少し長くなったような…補正に使うタオルももう一枚必要になっていました。まだまだ若いときは、私の着付けに注文をつけ、喧嘩もしながらやっていましたが、この日は、何か違うものを感じてしまいました。後何年母を着せてあげられるのでしょうね。11/3は落成式を挙行致します。母はもうどの着物を着るか、決定しているみたいです・・・