リレーエッセイ10月

父との思い出そして母   森崎明子

 私の父が他界したのは、5年半前、とてもやさしい父でした。寡黙な父は、私の顔を見るとニンマリ、何も言葉を交わさず、ただニンマリ。そんな父から叱られたのは、後にも先にも一度だけ。アメリカから来た交換留学生を父が受け入れた時、私はまだ小学生。青い目にクルクル髪の大きなお兄さんを間近にして、とても緊張し、その場の空気に落ち着かず、やんちゃだった私と妹は二人でソファをピョンピョン飛び跳ねていました。それを見かねた父が、「静かにしなさい!」と今まで聞いたことのない大きな声で怒鳴り...私と妹は、あまりの驚きに一瞬時が止まったような気がしました。それから45年経った今でも、妹と二人でこの話をすると昨日のことのように思い出される、それくらい衝撃的なできごとでした。
 家に居るときは、本を読み、大事なことはノートに書き、目をつむり考える!自慢の巨大スピーカーで音楽を聴き、時にはうたた寝をしている、そんな父でした。
父母の世代では当たり前ではあったのでしょうが、家事、子育て、庭掃除、すべて母におまかせ、それに加えて「俺は箸より重い物を持ったことがない」と当たり前のように言っていた父、その通り重い物はいつも母が...時に草刈をしている母を見て「たいへんですね」と少し加勢をするも、5分も持たず「断念」。しかしそんな父も常日頃から「家のこと、子育て、すべてサチ子さんまかせで俺は何もしていない。いつも感謝している。」と、この感謝の気持ちをちゃんと伝える父、「俺はサチ子さんだけ。もう少し遊んどけば良かった。」と冗談をいいながら、「えへへ」と笑う父、感謝の気持ちを言葉に出して伝えるのはとても大切な事だと教えてもらったような気がします。遊んでもらった記憶はないけれど・・・そんな父が大好きでした。
優しい父、明るくたくましい母、私にとって二人は「理想の夫婦だな」と思っています。
 父が亡くなった時、母はたいへん落ち込み、見ていられない程でした。ソロプチミスト会員の皆様にもたいへんご心配をおかけしました。その頃は、四人姉妹で母を支え、母が淋しくないように誰かが実家に来ている、そんな日々を過ごしていましたが、5年が経った今、母も随分元気になり、冗談も言い、やっと父がいた頃の明るい母に戻りつつあります。糖の数値を気にしながらも「今日だけね」と毎日甘い物を食べるそんな平穏な日々を過ごしています。そして、私がソロプチミスト熊本-すみれに入会させて頂いた事をとても喜んでいて、会うたびにソロプチミストでの思い出を話してくれます。
 そんな母の近況を皆さんにご報告することができ、たいへん嬉しく思います。また同時に、父が亡くなった際にソロプチミスト会員の皆様から母(清永サチ子)にいただきましたご厚情に対しまして、ここに改めまして、深く御礼申し上げます。
私は入会して3ヶ月、皆様の温かいお声掛けに感謝し、まだまだ何も分かりませんが一つ一つ勉強させて頂き、少しはお役に立てる日がくるように頑張ります。
これからもどうぞよろしくお願い致します。