リレーエッセイ10月

想像する  宮崎文

マリー・アントワネットは、フランス革命前に民衆が貧しさゆえに充分に食事を取ることが出来ず、「パンをよこせ!」とシュプレヒコールを挙げた時、
「パンが無ければ御菓子を食べればいいじゃない」と言ったと伝えられています。 真偽の程は分かりませんが、無知と想像力欠如を露呈した発言として今でも語り継がれています。

さて、ここからは反省を込めた私自身の実話です。
テレビニュースで「乗り物での落し物ランキングのダントツ1位は傘です。
その他、書類や現金、装身具が続きます。かわったところでは、骨壷の落し物がありまし た。」と報じていました。
当時30代前半だった私は「世の中には、なんて間抜けな人がいるのだろう」
と、落とし主を内心大笑いしました。

その後、以前から知りたかったハンセン病療養施設の菊池恵楓園とのご縁が出来、「ハンセン病」を学ぶ機会を得ました。
そこで、国の政策で家族から切り離された方々のお話を生のお声で聴くことが出来ました。療養所にいらっしゃる方々は、ご自身の発病のために家族に差別が及ばないように出自を伏せ、偽名の方が多くおられます。
中には、社会ではもう亡くなっていることになっている方もおられました。そこで、「あッ」とニュースの落し物の「骨壷」のことを思い出しました。

もしかしたら、療養所で亡くなった方の遺骨を御家族が引き取ったものの(持って帰りたくても)持って帰られない事情があるのかも知れない。
菊池恵楓園の納骨堂に参拝に行った時に、その確信を得ました。
そこには、亡くなっても故郷に帰れない、御家族が故郷に持って帰りたくても叶わないご遺骨が、幾柱も安置されていたのです。

人には口には出し難い様々な事情があるものです。
それを想像することの出来なかった私は、安易に笑っていたのでした。
ハンセン病に限らず、私どもの考えが及ばない事情の方々が多くいらっしゃると気付かされました。

この事をきっかけに、ハンセン病療養所のさまざまな歴史、現状、目にみえるだけでは理解出来ていなかったことをお聞きし、学びました。
ハンセン病の元患者の方々から「私自身の人生の想像力の欠如」を叩きつけられた思いでした。

今年7月に本会への入会が出来、また「知る。女性の置かれた現状を想像してみる。」機会を頂きました。また1歩、学び、想像する私でありたいと願っています。