リレーエッセイ5月

二つの小冊子    杉田 マルタ 成

 令和4年の初日の出、彩雲の中で輝いていました。
 一月で82歳を迎える私、元気に生かされていることに感謝するとともに、今年も神が網を降ろすべく示された場所で、ささやかでも花を咲かせたいとの思いを強く持つことが出来ました。
 世界中に新型ウイルス感染症「コロナ」が発生、経済も疲弊、マスク姿にテレワークの生活が2年以上となり、いまなお先の見えない霧の包まれているようでこれまでの普通の日常がいかに幸せだったかを考えさせられています。
 3年まえに主人を送り、独り身の私にとって不要不急の外出自粛は天から与えられた十分な終活の時間ではないかと…… 結婚後31年間、封をしたままのダンボール、「処分する」前に開いてしまいました、そこには、婦人自衛官幹部一期生として勤務した2 0年の歴史が詰まっていました。このまま捨てては私の頑張った2 0年が消えてしまう。
 5歳の頃満州で育った私は戦況の悪化に伴い母に連れられて3歳の妹と8ケ月の弟とともに北朝鮮に疎開しました。到着3日目に終戦となり一年間の抑留生活を余儀なくされました。弟の死、弟の骨箱を首に下げての北朝鮮からの脱出、いま、TVニュースに流れるウクライナから脱出するこども達の映像は私自身と重なり心が痛みます。でも、この5、6歳で経験した餓えと寒さに苦しんだ一年間、歩いて3 8度線を越えた日々は、勤務の中で「あの時よりは…」となり、壁を乗越えた時の快感の方が大きな喜びとなっていたように思います。
 2 8歳で飛込んだ自衛官としての勤務、「婦人自衛官としての2 0年」(WAC ? WAVEの制度発足に参西して)として小冊子を作成することが出来ました.
 作業の中で「女のくせに」「女なんか」と今ならすぐにセクハラと言われそうな時代、私を見守り、育てて下さった上司・先輩、「お前のそうゆう所は良くない」と的確な助言をくれた男性同僚、そして、私を上司として支えてくれた部下達、まだ今でも「隊長」「教官」声を掛けてくれる教え子達、沢山の見守りの中で大切に育ててもらったのだと感謝しています。
 また、コロナ禍うれしい事がありました。セイばあちゃんとなついてくれた二人の孫達にベビーが誕生、この2年で三人(1人と双子)のグレイト・グラン・マになりまし た。
 「あれは女か?」と言われながら4 8歳まで自衛官として勤務した私を、31年間ボランティア活動、お茶会と飛回る「じゃじゃ馬」の私を、呆れながら見守ってくれた主人が居てくれたからこそこのうれしさがあると感謝です。
 主人の写真を整理しながら、山あり谷ありの人生を昭和の男のプライドを保ってホテルマンとしてスマートに生き抜いた「武者ん良かった」曾お爺ちゃんをベビー達に憶えてもらいたいと、写真集にまとめることにしました。
 「想い出」~杉田辰彦の91年~として昨年(令和3年)12月クリスマスのプレゼントとして娘、孫達に届けることが出来ました。
 いま、我が家の前の公園の桜が風に美しく舞っています。
 縁側の籐椅子に腰掛けて、桜吹雪を見ながら「やっぱ、家は良かなあ!」と言っていた主人、これからも娘、孫達一家を見守って下さいね。ついでに、私も忘れないで下さい。
 コロナ、戦争、災害どれも対岸の火事ではなく、パンーつとってもそこに世界がつながっていることを実感するこの頃です、世界のこども達にとって安心・安全な日が訪れることを祈りながら
          2 0 2 2 (令和4)年4月