リレーエッセイ3月

やさしい健康体操太極拳  永島静子

太極拳教室に通い始めてから もう30年以上にもなる。「やさしい健康体操」というキャッチコピーに魅せられて入会した。40歳になり自分の健康作りを考え「やさしい」なら誰でもできると選んだのが太極拳であった。
社会保健センターに週一回、1時間30分の教室。
「ニイハオ」で始まる30数名の老若男女。中国語の号令にやたらゆったりとした動き。
何故かはまった。
呼吸法と立禅。講師が套路の名を中国語で読み動きながら指導してくれる。覚える事の苦しみと愉しさがあり、休む事なく必死に習った。一年後 支部大会で昇段試験があり、私は初伝を受けた。大勢の観客の中、仲間と一緒だから大丈夫と自分にいい聞かせながらも凄く緊張した事を覚えている。
静粛な空気感が伝わって会場が一体となる。終わった後の爽快感。誰も合格することはわかっているのに。その後 昇段試験を受けるたびに緊張感は同じように続いたものだ。
無事終えた安堵感も。支部大会後は宴会がつきものでそれも仲間とのコミュニケーションの場として最高だった。最後の師範の免状が取れたのは15年前。  教室を持ち、指導する気も無いからのんびりと我が仕事中心で太極拳を楽しんできた。そして退職後、太極拳を中心に指導できる立場になれたらと思っていたら2年前、右脚に激痛が走り歩けなくなり緊急入院、手術。右膝に人工関節骨を入れる事になった。コロナ禍の中 自粛生活ではあったが動け無い苦しみと元に戻れない身体に 痛みと哀しみ自分との葛藤もあり、悲観的に考える日々。傷が落ち着きリハビリと共に歩けるようになり、太極拳も無理しないで、出来る範囲であれば続けていく事が出来そうであるし、右脚は90度以上曲げる事はできないが幸いにも歩くことはできる。
やり方や考え方を変えて行くとなんとかやれそうな 、そんな気がしている。
今、振り返ると 太極拳を学ぶ為に仲間たちと何度も中国に行き沢山の人達と交流出来たことが貴重な財産であり、日中友好でもあったと自己満足している。常に私を導いてくれた恩師に感謝すると共に、私も支部の為惜しみなく働きたいとねがっている。
師家 楊名時先生の本の中に[不怕慢 只怕站](ゆっくりするのはかまわないが、立ち止まってはいけない)と言う言葉があり、私は太極拳を始めた時から[プーパージィー シーパージェン]を基本にして来たと やっと意味がわかったような気がしている。謝謝。
再見!

コロナ感染が落ち着いてた夏、二の丸公園にて太極拳

益城町の川辺

白川公園