リレーエッセイ9月

コロナ禍の夏休み  丸住文子

 令和3年の夏も昨年に引き続きコロナの影響を受けた。

 残念ながら夏休み恒例の花火大会や夏祭りがことごとく中止となった。それならば、自分たちでイベントを催そうと子供の友達親子を呼んで夏祭りをすることにした。しかし、私が夏祭りを企画したことにはもう一つ大事な理由があった。

 私には小学生と幼稚園児の二人の子供がいる。子育て真只中の母親が仕事を持つということはなかなか苛酷だ。平日は毎日、分刻みで家事、仕事、子供の世話、習い事の送迎などやるべきことが波のように押し寄せてくる。お陰で週末の夕方には“干からびた蛙”だ。このままでは、将来子供達から「私の母親は干からびた蛙でした」と言われかねないだろう。自宅で催す夏祭りは、母親としての株を上げるための絶好の機会だった。

 どうせするなら子供達と工作がてら屋台から作ろうと思い、段ボールとティッシュペーパーを用意した。段ボールに色紙を貼っていると、夫が「手伝おうか」と言ってくれた。そうだ。私は工作が大の苦手だということを忘れていた。色紙の貼り方も雑で下手である。これは適任者に任せた方がいいと思い、夫にお願いした。

 私が「まあ、上手。パパは本当に器用ねぇ」と、拍手をしている間に屋台が出来上がった。やはり持つべきものは夫、いや持ち上げるべき者は夫である。それから夫は機嫌よく、祭のPOPを沢山印刷し、子供達と一緒に段ボール屋台を夏祭りらしく鮮やかに彩っていった。

 また、上の子供が夏祭りでりんご飴を作りたいと言ってきた。聞くと、TVでりんご飴の作り方を放映していたそうだ。そのTVを観て確認すると砂糖、食紅、水を入れて中火で160度まで温め、りんごをその出来た飴に絡ませればいいらしい。簡単だ。私にでもできる。

 と思ったことが間違いだった。夏祭り当日、りんごに飴を絡ませていた時のことである。私が目を離したすきに160度に熱した飴が上の子供の指先にかかってしまったのである。火傷をさせてしまった。全治2週間。しかも右手の人差し指と中指を火傷し、鉛筆が持てないため、塾も勉強も休まざる得なくなった。猛省している私の隣で、子供は「痛いなぁ。勉強できない」と言いながら、顔が笑っていた。

 その後、夏祭りの時間となり子供の友達親子が我が家へ来てくれた。子供のお母さん達も食べ物、千本くじ、輪投げ等ゲームを手作りしてくれたお陰で、とても賑やかで楽しい夏祭りとなった。

 夏祭りが終わった後、夫も夏祭りで皆が楽しんでくれた話を聞いてとても嬉しそうにしていた。子供達にとって楽しい夏の思い出ができたことに満足している私がいる一方、“干からびた蛙”から“優しいお母さん“への格上げを期待しているしたたかな私もいる。果たしてこの母の思いは子供達に伝わるのだろうか。