リレーエッセイ4月

Goodbye my Friend!       坂本 綠

 2021年1月、半世紀以上も付き合ってきた友に別れを告げた。

 どっしりとしたbodyにふくよかな声、いつも私の傍らにいた。彼女の名は“Adelstein”アップライトピアノである。蓋を開けると”ニッ!“と88鍵の象牙が笑っていた。

 音楽の血筋など何もない我が家に父が買った。「高いオモチャだ」といった言葉を今も覚えている。ラビット(スクーター)に乗り村中を往診していた赤ひげ先生。仕事一筋に見えていた父は案外ロマンチストだったのかもしれない。オモチャも充分使い切ったよと報告しよう。

 数台のピアノを聞き比べ私は彼女を選んだ。少しくぐもりのある、飛び出してこない音色が好きだった。それは大人になっても変わらず、“Bösendorfer”を聴いた時、その木の温もり感ある深い音色に魅了された。ある時、中古の出物を紹介されたが、ピアニストではない私には宝の持ち腐れであり遠慮した。印象深い思い出の一つに(これも半世紀前)、ロンドンのロイヤルアルバートホールでのピアノコンサート。何に例えようもない、オルゴールのような音色がホール中に降ってきた。夢みるような音色だった。きっと円形ホールの音響効果もあったのだろうと思うが。余談だが、演奏会終了後どうやってホテルへ帰り着いたのか思い出せない(私は方向音痴!)

 さて何故にAdelstein嬢を手放すことになったのか。

彼女も私と共に年を重ね、そのbodyたるやアフガン犬のサージャン君(私の第1回目のリレーエッセイに登場)にかじられ、見るも無惨。それでも思い出と共にずっとリビングに座していた。私たち夫婦の残り時間のカウントが始まり、毎夜「居酒屋みどり亭」でビール片手にスポーツを観戦し、時事放談をすることも増えてきた。そうだ、テレビを買おう!
そしてあの場所だ!(我が友Adelstein嬢、貴方のいるそこなの!)

 家族は私を慮り、捨てなくてもと言ったが私はスッパリと彼女を手放した。薄情なものだ。道具も思い出も自分自身で整理整頓しなければならない。未練はない!充分に彼女と過ごしてきたのだから。

              Goodbye  my  Friend (感謝を込めて)!