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すみれメンバーが毎月交替で執筆します |
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豊島にて
−3枚の絵− |
平成24年7月 |
田中 弥生 |
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豊島は、瀬戸内海の周囲20q、人口1,000人余りの島。
小さい漁港の集落の古民家に、その3枚の絵があった。
中に入ると、かって営まれていたであろう温かい家族の団欒や憎哀が、部屋の隅々に
静かに収まっていた。
その座敷の奥の間に1枚目の絵があった。
画家、木下晋氏による最後の瞽女(ごぜ)小林ハルさん(享年106歳)の晩年の姿で、
10H〜10Bまで22段階もの鉛筆によるグラデーションで描かれていると、説明を受けた。
ひざの上に置かれたハルさんの両手がキャンバスいっぱいに描かれている。
皮膚はくしゃくしゃにした紙のようであり、砂漠の様であった。
気持ちのいいものではなく、のどの渇きさえおぼえた。
命が感じられないその皮膚のところどころに裂けたように内部が描かれている(理科室の解剖図のように)。・・・そのように見えた。
しばらくすると、その内部が命あるもののように蠢き出した。
その手で過酷な人生を生きのびて来た事を、物語るように。
2枚目は、4畳半ほどの狭い部屋にあった。
ハルさんの両目がキャンバスいっぱいに描かれている。
光を失った眼球に瞳は無く、惑星のようであった。
しかし、見えないはずの眼差しは瞬時にして生身の私の体を貫き、
私たちの目に見えない異次元の世界、まるで「真理」を見きわめているかのようであった。
最後の3枚目の絵は、屋根裏にあった。
急な階段を上り、天井の四角い入り口から顔をのぞかせると、
薄暗い中、古い生活の道具に囲まれたハルさんの横顔がうかびあがった。
深く深く静かに。
厳しさも感じられるが、けっして居たたまれなくなるような厳しさではなく、
離れがたい不思議な感覚につつまれた。
そこはまるで、聖域だった。
すべてがこそぎ落された時、その人の中に光を帯びて見えてくるものがある。
その光方は様々だが、
それがその人の生き様なのかもしれない。
特別な人生を歩んできた人とは限らない。普通に生きた人々にもである。
ただ、その人々に共通して言える事は、「ひたむきに生きてきた。」と、いう事のように思える。
そして、その横顔には必ず祈りが感じられる。
私は、小林ハルさんの絵が豊島の古民家に収められていることに、やさしさと安堵感を
覚えながら島を後にした。
2012年6月9日 豊島にて
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木下 晋 「100歳の手」
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