皆様は、羊羹「夜の梅」の名前の由来が、「切り口の小豆の粒が、夜の闇にほの白く咲く梅の花を思わせる事から名付けられた。」と、いうことをご存知でしたか。
私は、これを知った時、半世紀近く持ち続けた疑問(どうして銘が「夜の梅」かと云う事)が晴れると同時に、
日本人の素晴らしい感性に触れた思いでとても感動しました。
まさに、目からウロコ、目の前の紗の幕が切って落とされたような気がしました。
それまで、私の首が45°に傾いていた鑑賞が、(例えば、銘の付いた楽茶碗など・・・高木会員からお叱りをうけそうですが。)
なんとなく、.その風合いを楽しめる様な気がしてきたのです。
ある日、羊羹を見つめながら考えました。
小豆の断面の輪郭、自然の造形が織り成す静かな緊張感と調和。
その輪郭から夜の白梅を連想する豊かな感性。
「パクッ!」
この感性、自然と協調しながら生活してきた日本人のDNAに違いない。
「パクッ!」
などと、勝手なことを考えながら、
私の頭の中は、夜の梅園から絶妙な調和で保たれている宇宙に迄ひろがっていました。
羊羹の中の宇宙。
「パクッ!」
そして、その宇宙はいつの間にか私のブラックホールのような胃袋に吸い込まれ、
身も心もすっかり満足しておりました。
ここまで読まれて「なぁーんだ」と思われた方、お許しください。(多分ほとんどの方が、そう思われたのではないかと推察するのですが・・・)私の貧しい文章力では、うまく表現できないのが残念です。
つまり、言いたかったことは、私が発見した「夜の梅」式美術鑑賞法。
騙されたと思って、羊羹「夜の梅」を召し上がる時お試しください。
瞬時にして、あなたを春浅き夜の梅園へそして神秘的な宇宙へと、誘ってくれることでしょう。
そして、思いがけない「美」を楽しむこと請け合いですよ。
《 追記 》
虎屋の羊羹といえば、父の大好物でした。
高校の修学旅行のお土産に銀座で、一棹求め、
それは、持参のお小遣いの大きい部分を占めていたように思います。
父は、一年前にくも膜下出血で倒れ、回復はしておりましたが、当然甘いものは控えていたと思います。薄くきって食べては冷蔵庫にしまい、そのうち切り口が固まってきます。
すると、「いい羊羹はこれが美味しいんだ。」と言って、これまた硬くなった羊羹を美味しそうに食べておりました。
父の好みは、「夜の梅」より「おもかげ」。そして私も・・・。
どうやら、私、「美的」よりも「味的」感性の方が勝っている人間のようです。
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