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私のお茶事始め
平成20年2月
高木 宗郁
       

 お転婆娘が少しでも女らしくなるようにという父の希望で、お茶の稽古を始めたのが小学校のとき、やがて淑やかにお茶を習っていられる時代ではなくなり、田舎に戦時疎開することになった。これでお茶ともお別れかと思っていたら、隣に工医の奥様でお茶の大先生が東京からお隣に越してこられた。

 母父の勧めで再び入門、その時から本格的なお茶の第一歩が始まった。戦中戦後のこととて茶や菓子もままならず、空豆の塩煮、薩摩芋の茶巾しぼり、干柿のワイン漬など砂糖の入らない素朴な手作りの菓子にはそれなりの満足感もあったが、抹茶は黄色に変色して糸を引くような粉末をこして飲んでいた。とても苦くてよく腹具合が悪くならなかったものだと思う。

 物のない時代の多難な船出だったが、稽古場で師匠の叱責を聞いていると、そのうち心が落ち着いてきて、戦後の混乱にも冷静に立ち向かえる気持ちが出てくるのだった。茶室ではこころにゆとりができるのと、いつも日本の伝統文化に触れていられることがお茶の最大の魅力だった。就職してからも、結婚してからも、一日としてお茶を離れることなく、とうとう一生のしごとになってしまった。

 戦後の復興に続く経済の成長とともに、お茶も物質的にはおおいに恵まれて来た。最近では砂糖をたっぷり使った贅沢なお菓子や苦味の少ない上等なお茶さえ、ついつい不満を漏らすことがあり、初心に返って反省しきりである。物が豊かになると心が貧しくなりがちなのはお茶の世界も同じで、これからも心を豊かに持ってお茶を友に一生を送りたい。と、ここまで書いてふと頭をよぎることがある。

お茶を通じて十分に女らしい暮らしをしてきたと自負しているが、果たして父は草葉の陰でどう思っているのだろうか。

                
  




              
   
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