夕方五時半、老犬サージャンを連れて散歩に出るのが私の日課である。
道路を一つ越え、つつじの枝を分け入ると、そこは心が和む地。アフターフャイブの女性が走っている。いつも決まった時間、同じコース。言葉は交わさない。だが、お互いの間に「あ、来てるな」という暗黙の了解を感じる。
競技場では中学生がランニング。息子を迎えにきたのであろうか、一人の女性がニコニコと話しかけてくる。我が愛犬を褒めそやし、ひとしきり犬談義。ここでは誰しもが善人。他愛ない会話を残して先へ進む。リハビリの為だろうか、いつも歩いている老人と軽く会釈してすれ違う。新聞を読む人、部活帰りの女子高校生のお喋り。平和な空間である。
野球場を半周した頃、老犬サージャンには、いつも決まって座る場所がある。記念碑を背に草の上に背筋をのばして行儀よく座り、太陽の沈みゆく西の空をじっと眺めている。風がアフガン犬特有の、その長くしなやかな黄金の被毛を流し、我が犬ながら神々しささえ感じる。一体何を見つめているのだろう。
いつまでも座り続ける犬を促し歩き出す。すると、「一・二・三、二・二・三、三・二・三・・・・」と高い声が響く。私の最も好きな風景である。白の胴着に紺の袴を着けた少女達が列を成して掛ける声。幼い女の子が打ち出す薙刀を、お姉ちゃん剣士が受け止める。凛とした清しい空気に満ち満ちている。私はこれこそ今の日本に必要であると感じる。学校教育に武道を取り入れるべきではないかと。それも若年令から縦系列で行うのだ。何事にも危険性はある。しかしリスクを恐れず、早くから武道を通して礼節を身につけさせる方が良い。加えて言論統制と言われようが、テレビ番組を根こそぎやり変え、規制すべきである。これから生まれてくる子供達のために。等等思いつつ散歩も終盤に近くなった。
春、ここの桜は見事だ。つぼみも膨らみ、花の咲き具合を話しかけながら歩く。見上げると黒く太い幹に咲いた花が輝く。白い花びらがヒラヒラと黄金の毛に舞い降りる。花の終わる頃、薄桃色に敷き詰められた花のじゅうたんの上を名残惜しみながらゆっくりと踏みしめて散歩が終わる。
二〇〇七年七月十二日、愛犬サージャンは逝った。
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