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私とテニス
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平成19年7月
蛛@和
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六月になると、ウィンブルドン選手権が、ロンドン郊外のオールイングランドクラブで始まります。
毎年、年の始めには今年こそウィンブルドンテニス観戦に行きたいと気炎をあげるのですが、六月という月は特に忙しく、今だに実現出来ずにいます。
今年の大会の男子シングルスでは、ヴォルグに次ぐフェデラーの大会5連破が出来るかどうか注目を集めていて、大いに興味がそそられるところです。
そもそもテニスとの縁は、蛯ノ嫁いでからのもので、家に3面のクレーコートがあって、熊本ローンテニスクラブのクラブ員の方々が朝から訪れ、お正月から大晦日まで、その世話が当たり前の状態の中、父より、テニスを始めなさい!!という一言で、まず壁打ちを始めたのが最初でした。
テニスが上手な人は、じっと動かずに只ラケットを振るだけで何時間でも壁打ちが出来るのですが、まったく初心者の私は、それこそボールと壁との格闘状態で、ポーンと打つなり、はるかに壁を越えて遠くに飛び去り、畑の中のボールを探し回ったり、かと思えば、隣に飛んだボールをもらいに試合中のコートに平謝りに「すいませーん」とひろいに行ったり大忙しの状態で、一時間もすればへとへと。でもお座敷の廊下で、腕組みをして、じっとこちらを見ている父の許しがでるまで頑張ったものです。
その努力の割には技術的にあまり上達せず、テニスの方よりも家業の手伝いの方が忙しくなって今に至っているわけですが、これからでも遅くない、少し体にいいことをしましょうと改めて運動を始めようと思っています。
熊本ローンテニスクラブは昭和23年に発足、初代会長は日本銀行の熊本支店長、2代目が肥後銀行頭取の川田栄三氏、3代目が今山病院の林勝氏、そして、4代目が、父、高柳隆、5代目が蝸イ一となり、父の代昭和36年にコートのある熊本ローンテニスクラブに初めて移ったということです。
私自身の今までのテニスとの関わりは、古いわりには浅いものでしたが、これからは、時間があれば、せっかくの縁を大事にして行きたいと、思う此の頃です。
それにはまず、ウィンブルドン観戦でしょうか?
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プロテニスプレイヤー 沢松奈生子と |
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1992.9.21〜27
タイ・バンコック・パタヤ アジアオープン日本代表 |
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1992.9.21〜27
バンコック パタヤにて アジアカップ日本チーム 炎天下での試合 |
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1992.9.21〜27
バンコックパタヤアジアオープン日本代表 |
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