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すみれメンバーが毎月交替で執筆します

ポールスミスと洋服
平成19年3月
有田満里子

僕たちのロンドンは輝いていた。
60年代 怖いものはなかった。世界を変えることができると誰もが信じた、僕は17才 ノッティンガムに住んでいる。金曜日の夜はロンドンに向かった。愛車1949製モーリスマイナーに乗って 自分で作ったTシャツを山ほど積んで当時のロックコンサート会場は大学の講堂だった。ステージにはピンク・フロイド、レッドツェッペリンがエリックがロッドがいた。みんな僕のTシャツを欲しがった。ロンドンの街は熱気に包まれた。僕たちは次々とルールを破り自分たちの文化を創り出した。ロックとファッションの同時革命。チェルシーのキングスロードは震源地だった。アートカレッジを卒業したばかりのオジークラークがデザインする服にビートルズ、ツィッギーが夢中になった。そして1970年10月9日僕は畳4帖の自分の店をもつことができた。その日の売上は39ポンドだった。僕の小さなレボリューションがはじまった。

                   もっと自由に自分を縛らないで勇気を持って
                     トライしようよ。コレと信じた道を。
                                       ポールスミス


日本中がイタリアに目が向いていた。1984年。

 資金力がない小さな店は、勘と体ひとつで動いて新しい物を見つけていくしかありませんでした。あの頃、こんな彼と出会ったのは1984年秋、ニューヨークのホテルの一室。まだ無名だった彼はベッドに数枚のシャツを並べ、私達を迎えてくれました。体中に電気が走ったような衝撃、そのシャツに魅いられてしまいました。

 1つのチャンスはニューヨークのお店。とびきり輝いている商品が並んでいました。“私を見て” まるでシャツが言っているように感じ、こんな美しくラブリーなメンズのシャツがあるのでしょうか?そのオーナーが「気にいったか?」「ハイ」じゃすぐ、ロンドンに飛べという一言で、そのままロンドンに飛び出しました。それがマーガレットハウエル。ポール自身もマーガレットをすごく尊敬していると、後で知らされました。そのようにニューヨークで知り合った人々のおかげで、ロンドンとの出会いがあります。

 1985年春、8枚のシャツが日本(熊本の町)に入ってきました。あーという間の完売。キャンディストライプあの黄色の斬新なシャツは、今のPSのシャツのベースとして今も輝いています。それから1986年7月FCとしてシャワー通り、ポールスミス熊本店スタート。ユーモアとかウィット、周りの人をハッピーにしたい。例えばディテールが面白いシャツを着ていて、周りの人がそれに気づいて「カワイイ」とか言ってくれると、それを着ている人はハッピーになりますし、会話のきっかけにもなります。そんな思いや「頑固さとユーモア」「クラシックとモダン」、その洋服創りに通じる二面性を伝えることから始まりました。

 今年21年を迎える日本に106店舗ひろがっていますが、その土地の雰囲気を生かしてポールさんや、店長、バイヤーの想いを伝授しながら若いスタッフと共に受けついでいます。洋服はやはり文化であり風俗であると信じています。

 洋服を好きになった自分と、さまざまな出会いのチャンスに心から感謝せずにはいられません。これからも洋服と共に生きていくつもりです。

    

   

   

             


              
   
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