俳句と私
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平成17年10月
赤池 常子 |
高浜虚子は「俳句は万斛(ごく)の思いを抱き、もらすため息の様なものだ」。と申しました。又私の先生は、「そのもらすため息こそ俳句であり、ため息の中に人生の哀歓が込められています。一句一句が人生そのものです。一句一句が、かけがえのない分身なのです。いとしいばかりの思い出の一句一句です」。と私もそのとおりだと思います。
夫が亡くなって十年になりますが、夫の病も糖尿病で長く病んでいて、末期には大変手がかかり俳句どころではありませんでした。夫は旅行が大好きで、二人で海外、国内と、ずいぶん旅をしました。亡夫の遺言で、タヒチのボラボラ島の海に散骨、散骨をきっかけに、又、旅が出来る様になり、旅の友人も多くさん出来、旅の俳句も出来る様になりました。
平明にして余韻余情のある俳句をめざして、がんばりたいと思っています。俳句と旅が私の元気のもとであり、生がいなのです。
○秋風にまた旅心つのる日々
○句作して生きるはりあい獺祭忌(だっさいき)(子規忌) 常子句
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青い空、奇怪な山々、目のさめる様な七色のタヒチの海はまさに天国でした。 |
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遙か古代エジプトの歴史に想いを馳せたアスワーンの古代石切場跡にて |
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スイス、フルカ峠を越えローヌ氷河へ行く時見た葡萄畑を見ての句。 |
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エーゲ界パトモス島にある聖ヨハネの洞窟(世界遺産)にて |
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☆似顔絵イラストは松藤真理子会員の作品です
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