今春、私はスイスへの旅路で、空港内の移動に車椅子とアシスタントを依頼しました。いざ出発! 第一日目、熊本空港午後一時、チェックインがすんでほっとして振り向くと、JAL
のスーツ姿のお嬢さんが車椅子と共に、にこやかにたっているのにびっくり!
『私に?』『ハイ。どうぞ』 とゆうわけで即刻 車椅子の人となる。車椅子の上では今まで頼りの杖がお邪魔虫となった。
エレべーター、バリアフリー通路、税関を通って桜ラァウンジへ。
出発時間15前にはキッチリトお迎えガあって、まっさきに搭乗案内、すこしばかり気おくれしながら待ちいる人々の全視線をあびる思いで機内へ..
夫も何となく落ち着かない気配で終始後ろからついて来る、
羽田着。降りるのは一番最後だ。長い通路をかたかたと(なかなかバリアフリーとはいかない)手荷持受け取りカウンターへ。
手荷持は既にカウンターに揃えられていた。
ここでいったん車椅子とはお別れ、制服嬢の最敬礼にに送られてタクシーで一路成田へ。
本番当日成田発;JAL にてフランクフルト着。フランクフルト空港は新装なって要塞のようだ。飛行機の降車口には50才位のたくましい女性が、警備員ふうの服装で車椅子と共に。1m80はある彼女は大股で颯爽と行く.
《もう少しゆっくりと歩いてくれませんか….》
《この空港は広いしターミナルも変えなければいけないので 急がないと!》
《我々の行くのは LH xxxx便でGE行き、ゲイトは何番ですか?》
夫が昔取った杵柄のドイツ語で尋ねるが
《大丈夫、大丈夫分っているから…….》の一点張りで
今度はジープへ乗り換え,夕闇迫る閑散とした構内を疾風の如く約20分走る。
突然他の空港の入り口らしき所に下ろされ
《私は眼の不自由なカップルを先に介助しなければならないので、あなた達はここで10分待て。私の同僚が必ず来るから 10分ね!》
と叫ぶや否や飛燕の如く消え去った。
見渡せばコンクリートの階段下、ちょっとした待合所だが ポスター一枚紙切れ一枚さえ無い。一体自分が現在何処にいるかも分からない、何処へ連れて行かれるかも分からない。これはナチスドイツ風のやりかたか?と不安の13分が経って
《はい。来ましたよ》の一声.偉丈夫のマダムと車椅子を駆って空港内の抜け道のごとき裏街道を20分、厳重な身体調査、税関も無事に切り抜けて、やっと華やいだショップ街の待合室へ。
ここで私は悩んだ、 介助者がいなくなった途端に、車椅子からすっくと立ち上がって免税店をウロウロと見て回って良いものか?ここで買う予定のお土産品目がちらつく。
Pm 9時30分、無事GE 空港着、機体下にはハンサムな中年のがっしりとしたガードマンがにこやかに迎えてくれた。彼はゆっくりと静かにバリアフリーの道を行く。
《観光旅行ですか?》 会話ものんびりと出口へ 鼻歌まじりに彼は手早く手荷物をうけとり私共々出迎えた娘の車に積みあげると
(楽しい日々をお過ごし下さい)と手を振りながら去っていった。
点数をつけるなら
スイス;人の対応は ごく普通に人並みに
バリアフリー 何処にも抵抗を感ぜず
専門職が交代とおもわれる
ドイツ;まさに宅配便の荷物にになった感じ
バリアフリー ほぼ完全だが
裏街道を行く無味乾燥道
専門職だろうけれど ケアの温かい
思いやりが無い
日 本;いと丁寧 ! 半分恐る恐る…….
バリアフリー いまだし 特に羽田は
滑り止めの横線が随所にある
車椅子を扱うのは各航空会社乗務員の
ボランチアサービスによる
感 想;自分の脚で自由に歩ける
幸せに 改めて感謝
2013年3月
<画 蟻田滋子会員>