ツーンと耳を圧してくるような静けさ。空は高く、むせ返るようなお茶畑の香り。
この光景が時折フラッシュバックしてくる。母との思い出、五感をとおして鮮やかに甦る映像である。
母は二年前に他界した。それほどべたべたした関係ではなく、むしろドライであったが、最近フッと母を思うのだ。一人暮らしの寂しさからか、用もなくかけてくる電話にうっとうしさを感じていたものだ。年に数回我が家を訪れたが、「みんなで食べると美味しいね」と言った言葉が今でも胸に突き刺さる。
私も歳を重ね、母を素直に思いやれるようになった時、すでに母は認知症だった。天が母に贈った安らぎであった。
墓じまいをするという知らせに、鹿児島の南端枕崎へ出向いた。東シナ海の水平線上に薩摩富士(開聞岳)がくっきりと見える。弟が「こんなこと滅多にないよ」と彼方の水平線を指した。開聞岳と並んでうっすらと屋久島が浮かび上がっているのだ。手前に黒島、隣に硫黄島も見える。今日が最後という時に何か意味があるのだろうか・・・・。
主を亡くした家は草木が生い茂り、荒れていた。その中に真っ赤なツツジが目に鮮やかであった。見るとたわわにビワが実っている。母がいつも送ってきたものだ。頬被りをし、姉、兄、弟とたくさん、たくさんもいだ。何十年分を取り戻すように。
私の帰る家はじきに無くなる。そして私のルーツが一つずつ消えていく。