2016年4月16日震度7の熊本地震が熊本を襲った。
丁度、震度6.5の前震の後かたずけをしている最中の夜中の1時26分だった。
南リジョン大会からバスで4時間半かけ、自宅に戻ったら、あまりの惨状に靴を履いたまま上に上がり、上着だけ脱ぎ捨て、その上にエプロンという状態、時間も忘れて後かたずけに追われているうちに、夜も更けて1時を過ぎた。先にお風呂を済ませた主人が「早く止めて寝らんと今日1日ではかたずけは終わらんぞ」と声をかけたので「そうね」と手を止めてお風呂場に向かおうとした、まさにその時、遠くから不気味に近ずく何かの物音がした、と次の瞬間、グラグラ、ズシンズシン、ガシャンガシャン、キーンキーンとすざましい音とすざましい揺れ、下から突き上げる振動、もう立っていられず、テーブルの下に思わず入り込んだ。
何、何、何、こんな事って何?ただ事ではないぞ。ただ事ではない本当のこと?一体何?こんな事って一体何?どうゆうこと?このビル壊れるの?地震?まさか?まさか?えー何?あーこのまま死ぬんだ!瓦礫に埋もれて死んでいる自分の姿が脳裡にうかんだ。大事件ってこんな風に、突然襲って来るんだな信じられない!なんて一瞬呑気に考えたりしていると、いつまでも続くと思われた長い揺れが終った。
静かだ! 信じられないほどシーンと静かになり、思わず ぼーとしていると、奥の方から「おーい大丈夫か?」「おーい大丈夫か?」と主人の大声だ。思わず「こちらは大丈夫でーす」「大丈夫ですかー?」お互いに「凄い地震」「凄かった」「けがは?」と声を掛け合った。このビル 古いから壊れる。早く4階から脱出しよう。脱出せねば! とりあえず脱出せねば!そこに長男からの電話、「お母さん達大丈夫ね?僕たちは全員無事!そこのビルは危ないから、外に出て!ガスの元栓を閉め、ブレイカーを落として、とりあえず毛布と布団で体を包んで、とにかくそこは危ないから一刻も早くビルから出て!早く!」「僕たちは今から白川公園に避難するから」
次々に次男家族、長女家族から無事確認の連絡が入りそれぞれの場所を確認、一応安心する。命あっての物種、思いつくままに、大事と思われる物を、かき集めて、大きいバッグに入れ停電で真っ暗闇の中、小さな懐中電灯と、携帯電話の灯りを頼りに、掛け布団に身を包み恐る恐る手探りで、瓦礫の散乱する廊下を進み主人と手に手を取りながら、いつ崩れるかも知れない階段を踏みしめて、一段一段恐れながら降りていきやっとの事で、一階の外に出て道路に出ることが出来た時、心からホットした。近くの花畑公園に避難した。あちこちから避難の人達が集まってきた。余震が次々襲ってくる。その度に、悲鳴が上がる。寒くなってホテルに電話するが、宿泊は無理とのこと。取り敢えず、次男家族が避難している屋根のある白川小学校の体育館に行くことにする。体育館は避難の人達でごった返していて暖かだった。
余震は絶えず襲ってくる。でも皆と一緒で、安心出来た。10日間の非難生活を経験した。その後ビルは全壊判定を受けた。2017年4月末に解体する事になっている。