九州の地には神話の昔から多くの話が伝承されています。
古事記によると、九州は筑紫島(つくしじま)と呼ばれ、肥、豊、筑紫、熊襲の4つの地域に分かれていた由、“肥”が肥前、肥後に分離したのはずっと後、7世紀の終わりになってからのことでした。
やまとの大王(おゝきみ)たちは、祖先は天から下った神の子孫であるという天孫降臨の伝承を信じていたので、阿蘇の君を例にとっても、その先祖は健磐龍命(たけいわたつのみこと)という神で、神武天皇の孫として、先祖神の系譜に組み込まれているそうです。
健磐龍命が初めて阿蘇の地に来られた時、神の住家であることを示す御幣を立てられた跡が幣立神宮の起源とされています。
十数年前に初めて訪れてその由来を知り、社を囲んで連立する樹齢を重ねた巨木の元を歩きながら、一帯の凛とした神々しいばかりの空気を感じたものでした。
あの感動が忘れられず、先日再び訪ねてみました。
地理的には九州のへそともいうべき旧称矢部町、現在の山都町に位置し、一帯は標高も高く、雨水が東向きには宮崎県の五ヶ瀬川へ、西方向は有明海に向けて流下するという、まさに九州の中心にあたる場所なのです。
健磐龍命は幣立神宮に居を定めて、いとこの阿蘇津媛と結婚され、人々が松明を掲げて嫁入りを迎えたのが、阿蘇の火振り神事。新たに新居とされた跡が男成神社(おとこなりじんじゃ)。媛がお産の際、健磐龍命が一晩で立てられた衝立が夜峰山。また、阿蘇谷を農耕可能にするために、外輪山の一部を蹴破って水を引かせた等々……、阿蘇神話の数々が伝承されています。
その源ともいえる幣立神宮はこの秋の好季に参詣するにふさわしい熊本の史跡だと思います。知る方も多いスポットです。
帰途は、これも有名は霊台橋の茶屋に立ち寄って、間近に石橋を眺めながらお茶を楽しむのも一興ですね。歩いて橋を渡ることも可能です。