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リレーエッセイ 7月 essay

菖蒲への独りごと                        濱田 康子  


 今年もまた、例年のごとく初釜が終わると友人の祝い茶会、月釜、社中との稽古と追われる日が続いている。
 待ちに待った桜の花が「あっ」と云う間に終わり、茶室も炉を片付け、道具のすべてを風炉のものに替える。茶室も少し広くなったように思いながら、寒さの和らぎを風の中に感じている。しかし薫風の五月も足早に過ぎてしまった。もう六月と思うと何か焦りを覚える。新緑の青葉が繁り、青楓の中をさわやかな風が通る六月!テレビでは大雨の予報がかしましく流れ入梅を報じているが、こうして次々と事が起こり、月日が流れてゆくのだろう。もっとゆっくり流れて欲しいと思うのは、年を重ねてしまったからなのだろうか?私の茶室も風炉に替わるとすぐ床の間には節句の飾り刀と弓、掛軸は県出身の堅山南風画伯の「鯉」の絵と義父の元気な頃より決まっている。菖蒲もあればいっそう良い。
 前年、家の一部改修工事のためベランダの鉢や山吹の枝等が切られてしまい、今年は花が殆ど咲かない。そんな事もあって六月の茶室には「ぜひ菖蒲を」との強い思いで花屋を廻ったけれど、「あやめはもう終わりです」「茶花は扱っていません」と云われてがっかり!それでも諦めきれず街をうろうろしていると町屋の中に花屋があり、菖蒲の鉢が置いてある。三鉢分けてもらって嬉々として家に帰り、水をたっぷりかけてベランダの日当たりの良いところに並べ、花が開くのを楽しみにした。
 三、四日後の稽古日の早朝、蕾はまだ硬かったが姿の一番良いのを切って萩焼薄端の花入に入れるとぴったり合い、床の間を引き立ててくれる。遅くとも昼頃には開くだろうと思い楽しみに待った。しかし席入り、炭点前、薄茶の稽古になっても開かない。濃茶も終わって午後になっても開かずに稽古は終わり、その日は皆花の事を気にしながら帰って行った。菖蒲はそれから一週間が経ってもシャンとしている。蕾を触っていたら紫色の線が蕾の中から見えてきたので、今迄にない事だが「今週もこの花を飾ってみよう」と皆に断って置いてみた。一方ベランダの鉢は美しく咲き、紫とうす紫のしぼりが三、四個咲いている。皆は「開かなくても姿が良いから想像できて良いです」と云ってくれたが、結局その週も開かないまま稽古は終わってしまった。私は「なぜこの花だけ開かないのだろう」と淋しい思いがして、何度か蕾に触ったりしてみた。 

 翌日やっと紫色の蕾が現れた。本当に美しい。私の菖蒲の花が欲しいという思いが勝り、硬い蕾のうちに切り花にしたので「怒って開かなかったのだろう」と、花に済まない気持ちになった。自分の花ばかりに拘っていると、夕方のテレビで玉名の菖蒲園で見事に咲いている沢山の菖蒲の花の様子が放映され、そこは多くの人で賑わっていた。一人で力んでいた自分が急に恥ずかしくなり、菖蒲に謝りたい気持ちになって来た。
 これからも月毎に咲く花を喜び、茶室に活け、皆と楽しみたいと思う。また、凛として私の気持ちを支えてくれた花に敬意を表したいと思う。どんな花に出会えるか?お茶と花はいつも一緒であり、一期一会。人と花の出会いを楽しみながら茶の道を歩いてゆきたい。         




 国際ソロプチミスト熊本−すみれ

<例会日>
 毎月第3木曜日 午前10時〜
<例会場>
 ANAクラウンプラザホテル
     熊本ニュースカイ

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